藤
藤堂勝汰さん (95epcv27)2024/6/11 10:43削除今回初めて著者の作品を読んだ。電車通勤で1時間以内であっという間に読み切れる作品である。
文春文庫だとフォントが大きく、内容も社会人が主人公なので、同じ社会人の身としては、主人公や同期の「太っちゃん」に親近感が沸くと共に、共感できる部分が多々あった。
語り手の「私」(及川)は、東京の大学を出たあと住宅設備機器メーカーに就職し、福岡に赴任することになる。福岡に赴任した「私」は九州の空気を好ましく感じながらも、博多弁が話せない自分をよそ者だと感じ、更衣室や給湯室で職場の人から標準語を用いられることに違和感を覚える。
同僚で同期の「太っちゃん」もまた、東京の大学を出て福岡に配属された、「私」と境遇を共にする人物である。二人は気の置けない同僚としての関係を築き上げていく。
友達以上恋人未満の親密さと奇妙さを持った繋がりは仕事を通じて維持されている。配属先の変更により、福岡に「太っちゃん」を残したまま「私」は埼玉への転勤の機上の人となる。
やがて 「太っちゃん」は東京に赴任し、関係は再開される。
ある日二人で飲んでいる時に、太っちゃんから「先に死んだ方が相手のパソコンのHDDを破壊する」という提案を受け、私も約束を交わす。秘密の保護という名目によって、死という事象において二人は通じ合うことになる。
そして「太っちゃん」は不慮の突然死に見舞われる。私は悲しみの中、交わした約束に従い星型ドライバーを差し込んで円盤に傷を入れ、読み出せないように“始末”する。「私」と「太っちゃん」の関係性において、死は秘密と密接に結びついていた。「私」が、死に最も近づくのは「太っちゃん」の秘密を壊す瞬間であったのだ。
「私」に再会した「太っちゃん」はずっとしゃっくりをしている。しゃっくりによって「太っちゃん」の言葉は細切れになって、「私」と言葉のリズムがずれている。これは「私」と「太っちゃん」のいる世界の「断絶」を示唆している。
HDDに隠された「太っちゃん」の秘密が、彼の作成したポエムだったかどうかは最後まで分からない。
「太っちゃん」と「私」との最後の会話で、「私」の秘密が明かされる。
これによりようやく横並びになることを示している。「私」の心に残った「沖で待つ」という言葉は、本来「太っちゃん」の妻に向けられたものではあるが、「私」が「太っちゃん」のいる場所へたどり着くのを「太っちゃん」が待っているという意味を読み取ることができる。二人を結びつける線は、岸から沖まで切れることなく一直線に繋がっているのである。
「私」は、「また太ったんじゃない?」と口にすることで、「私」自身が存在している世界に「太っちゃんを」を止まらせようとする意思、「太っちゃん」への親愛の情が反映された会話である。
単なる会社の同期が、地方への赴任、そして別れ、そして再会を経て、“腐れ縁”的関係になり、互いの秘密を結果的に知ることにより、自分は他人に恥部を明かし、他人は自分に恥部をさらす結果になる。
そんな恥部を知ってしまった以上、赤の他人のままではいられなくなるという不思議。これがこの小説のテーマなのではないだろうか?
主人公の「私」が男と渡り合うような過酷な住宅設備機器メーカーの営業職というのも、本小説で「太っちゃん」が心を許せ、気安く何でも言い合える関係になっていると感じた。同じ“企業戦士”同士が時に愚痴を言い合ったり、オアシスを求めたりと、むしろ私の方が「太っちゃん」のマウントを取っている気がして面白かった。