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藤堂勝汰さん (9bsra2fl)2025/2/5 11:16削除【テーマについて・感想】
問1:叔父が妻朋子と生活していた時分に繰り出した、『ポンパ』や、『タポンテュー』『ぁチリパッハ』は、どんな意味が隠されていると想像しますか?
【回答】
特に深い意味は隠されていないと思われる。自らの思考がアサッテの方向に彷徨う時に、無意識に発せられる入口と出口の証なのではないだろうか?
このワードは小説の中では頻度、声の大きさ、タイミングなどで大きな違和感が残るが、自らも自問自答してみると、案外そんなに突拍子もない事でもないと思ったりもした。
思考が彷徨いつつある時に、自分も特に意味を持たないワードを口走っている事があると改めて感じた。
問2:奇妙な言葉と吃音との関係性について何かあると思いますか?
【回答】
物心ついた時から吃音(どもり)に悩む叔父が受けて来た嘲笑や罵倒は当人しか分からない心の傷痕であったと推察される。問3とも関係があるが、この吃音(どもり)が本人の意思や努力とは裏腹に20歳の時に突然解消される。これを境にかは判然としないが、叔父のアサッテが発症したと考えても違和感はない。つまり、キツツキが言えない日常から、当り前にキツツキが言える日常に変化し、叔父の中で何かが吹っ切れ、奇妙で言いづらいワードの連呼が本人の意思とは裏腹に無意識に口から出てしまうようになったと考えたら、自分の中では合点がいく。
問3:叔父にとって吃音がもたらしたもの、失わせたものとは何だと思いますか?
【回答】
深読みし過ぎのきらいも無くはないが、叔父の日常は吃音で均衡を保っていた。
しかし20歳の時にその日常を揺るがす出来事、すなわち吃音がやむという出来事が起きてしまった。叔父は大層動揺し、その違和感(不均等)を保つために、吃音の代わりにそれとほぼ同等の「意味不明なワードの発声」を掲げる事により、心の平安を維持できたのではないだろうか?
問4:『チューリップ男』と『アサッテ』との因果関係についてあなたはどう思いますか?
【回答】
これも問2、問3と関係があると考える。
エレベーターの中で繰り広げられる非日常で自らの意思とは裏腹な行動は、叔父にチューリップ男とアサッテ男である自分との明確な境界線を薄めさせてくれたのだと思う。
皆が皆、抱えているモノではないにせよ、自分固有の病的なものではないと思える光景であったと思う。
問5:その他全体の感想をお願いします。
選考委員である山田詠美が「読んで吹き出した」とコメントしているが、自分も読んで面白おかしく感じた。
特に時折繰り出すワードに関して、発し方、イントネーションなどを細かく解説している箇所には、ここまでするかとあきれた次第である。
本作も前回の「佐川君からの手紙」同様、純文学という定義からは大きくかけ離れているという印象は拭えない。著者である諏訪 哲史は名前もそうだし、出ている学部も哲学科ということで、彼が師と仰ぐ
種村季弘に捧げた著者の哲学的理論的小説となってしまっている感は否めない。師に認められたい、褒められたいという一心で書き連られた思いが前面に出てきて読む側が委縮してしまいそうである。
また、表現もかなり堅苦しい。特に後半部分は恐らく著者が本作を纏めに入ったためか、混迷を極めて行っている気がする。そういった意味からしてみても、他の著書ではいわゆる文学的著書があるのか興味深い。
最後になるが表題の「アサッテ」について簡単に記しておきます。
アサッテ(あさって)とは、明日の次の日、つまり翌々日を意味する言葉です。
「あさって」は「明日が去って(あすがさって)」が転訛した言葉と言われています。
「あさって」には、次のような意味合いもあります。
見当違いであること
向くべき方向や判断を誤っていること
「あさって」と似た言葉に「明後日」がありますが、「あさって」は一般的な語、「明後日」は改まった言い方です。